「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が云った。
「わかれる。きっとわかれる。天下の夫婦はみんな分れる。今まではいっしょにいたのが夫婦であったが、これからは同棲(どうせい)しているものは夫婦の資格がないように世間から目(もく)されてくる」
「すると私なぞは資格のない組へ編入される訳ですね」と寒月君は際(きわ)どいところでのろけを云った。
「明治の御代(みよ)に生れて幸さ。僕などは未来記を作るだけあって、頭脳が時勢より一二歩ずつ前へ出ているからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だなどと騒ぐが、近眼者の視(み)るところは実に憐れなほど浅薄なものだ。それはとにかく、未来記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲学者が天降(あまくだ)って破天荒(はてんこう)の真理を唱道する。その説に曰(いわ)くさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陥(おちい)る。いやしくも人間の意義を完(まった)からしめんためには、いかなる価(あたい)を払うとも構わないからこの個性を保持すると同時に発達せしめなければならん。かの陋習(ろうしゅう)に縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蛮風であって、個性の発達せざる蒙昧(もうまい)の時代はいざ知らず、文明の今日(こんにち)なおこの弊竇(へいとう)に陥(おちい)って恬(てん)として顧(かえり)みないのははなはだしき謬見(びゅうけん)である。開化の高潮度に達せる今代(きんだい)において二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結され得べき理由のあるべきはずがない。この覩易(みやす)き理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、漫(みだり)に合 (ごうきん)の式を挙ぐるは悖徳没倫(はいとくぼつりん)のはなはだしき所為である。吾人は人道のため、文明のため、彼等青年男女の個性保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……」
「先生私はその説には全然反対です」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手(ひらて)で膝頭(ひざがしら)を叩いた。「私の考では世の中に何が尊(たっと)いと云って愛と美ほど尊いものはないと思います。吾々を慰藉(いしゃ)し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのは全く両者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘れることが出来ないです。この二つの者が現実世界にあらわれると、愛は夫婦と云う関係になります。美は詩歌(しいか)、音楽の形式に分れます。それだからいやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅する事はなかろうと思います」
「なければ結構だが、今哲学者が云った通りちゃんと滅してしまうから仕方がないと、あきらめるさ。なに芸術だ?芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由と云う意味だろう。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者(きょうじゅしゃ)の間に個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩家だって踏張(ふんば)っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君よりほかに読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌(えんおうか)をいく篇作ったって始まらないやね。幸いに明治の今日(こんにち)に生れたから、天下が挙(こぞ)って愛読するのだろうが……」
「いえそれほどでもありません」
「今でさえそれほどでなければ、人文(じんぶん)の発達した未来即(すなわ)ち例の一大哲学者が出て非結婚論を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから読まないのじゃない。人々個々(にんにんここ)おのおの特別の個性をもってるから、人の作った詩文などは一向(いっこう)面白くないのさ。現に今でも英国などではこの傾向がちゃんとあらわれている。現今英国の小説家中でもっとも個性のいちじるしい作品にあらわれた、メレジスを見給え、ジェームスを見給え。読み手は極(きわ)めて少ないじゃないか。少ない訳(わけ)さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ読んで面白くないんだから仕方がない。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術も完(まった)く滅亡さ。そうだろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないじゃないか」
「そりゃそうですけれども私はどうも直覚的にそう思われないんです」
「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的(きょっかくてき)にそう思うまでさ」
「曲覚的かも知れないが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんか担(かつ)ぎ出すのも全くこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあんな哲学に変形したものだね。ちょっと見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想じゃない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多(めった)に寝返りも打てないから、大将少しやけになってあんな乱暴をかき散らしたのだね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になる。あの声は勇猛精進(ゆうもうしょうじん)の声じゃない、どうしても怨恨痛憤(えんこんつうふん)の音(おん)だ。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば天下翕然(きゅうぜん)としてその旗下にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事実に出てくれば何もニーチェ見たように筆と紙の力でこれを書物の上にあらわす必要がない。だからホーマーでもチェヴィ·チェーズでも同じく超人的な性格を写しても感じがまるで違うからね。陽気ださ。愉快にかいてある。愉快な事実があって、この愉快な事実を紙に写しかえたのだから、苦味(にがみ)はないはずだ。ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たって誰も英雄と立てやしない。昔は孔子(こうし)がたった一人だったから、孔子も幅を利(き)かしたのだが、今は孔子が幾人もいる。ことによると天下がことごとく孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張っても圧(おし)が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人などを書物の上だけで振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困っている。それだから西洋の文明などはちょっといいようでもつまり駄目なものさ。これに反して東洋じゃ昔しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなった時、王者(おうしゃ)の民(たみ)蕩々(とうとう)たりと云う句の価値を始めて発見するから。無為(むい)にして化(か)すと云う語の馬鹿に出来ない事を悟るから。しかし悟ったってその時はもうしようがない。アルコール中毒に罹(かか)って、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」